Friday 4 October 2013

Autumn Yurui



Tracklist:
  1. Prelude to 110 or 220 - Women of the World - Jim O'Rourke
  2. 50 Ways To Leave Your Lover - Paul Simon
  3. Harder Than That - Crackpot
  4. Last Dance - Rhye
  5. タイム・リミット - 宇多田ヒカル
  6. Touch and Go - 林原めぐみ
  7. Deep Kiss - S.L.A.C.K.
  8. Night Wind - The Rah Band
  9. No Love - Little Dragon
  10. Reunion (Gesubi Mix) - 泉まくら
  11. Porque Te Vas - Jeanette

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季節も不安定で、気分も落ち込み気味で、ちょっと寒くなって人肌恋しいと、秋だ、と全身で感じる。夏休みが終わって久しぶりに大学まで自転車を走らせると、風に運ばれてキンモクセイの香りが漂う。そしてこれから木の葉も散る一方で、秋は「死」の臭いがする。

個人的な話。
小学五年生まで海外に住んでいたので、帰国後の一年間、小学校で過ごした印象は今でも脳裏に強く刻み込まれている。実は小学校、今通っている大学の付属校だ。新しく買いそろえた白い上履きや防災頭巾、海外では雑巾で掃除する習慣はなく、アニメで見ていた給食当番や運動会の球拾い、フィクションであったはずの世界がいつのまにか私のリアルになっていた。

その小学校(というか大学)は木が非常に多く、イチョウやハクモクレン、サクラやドングリの木があって、教室の窓から見える景色の色彩は四季を通し常に入れ替わっていた。私はキンモクセイの香りが大好きだった。あの甘くてはっきりした、でも軽やかで嫌気のない、やさしくそっと包み込んでくれるような臭い。私もキンモクセイのようになりたかった。昼休みは教室で夢うつつ、肺にいっぱい含ませたキンモクセイの香りに、恋をしていた。

キンモクセイの臭いを嗅ぐと、小学校の思い出が一斉に襲いかかってくる。春・夏・冬の思い出も秋になって急に思い出すなんて、不思議だ。一階の教室の配置とか、カーテンのかすんだうぐいす色とか、うさぎ小屋のフェンスのゆがみとか、どうでもいいことまで思い出す。秋が過ぎると、この小学校のことを一切思い出さなくなって、まるで記憶が埋葬されたかのようだ。

英語で"follow your nose"(自分の直感に従って行動せよ)というイディオムがある。これは顔の一番先にあるものだから「鼻」を取っただけであるが、五感の中で嗅覚が一番優れているとどこかの記事で読み、理論的な理屈のつり合いに感心した。芝刈りした後の公園、バイオリンの先生の洗面所の石鹸、体育の時の更衣室、元カレのパーカー、おばあちゃんのお葬式のお香、臭いの記憶はいつまでも鮮明で、ふとしたときに思い出して、楽しくなったり、寂しくなったりする。

同じキャンパスに登校している今、キンモクセイの臭いをかぐと小学校の思い出が甦って、輪廻転生をおくっている気分だ。私は一度死んで、また生き返っているのだ。

Tuesday 1 October 2013

言葉にできない気持ち

10月に入りました。新学期です。
気づいたら更新せずに一ヶ月が過ぎていた。ブログは中学二年生から何かしらの形でずっと続けているけど、最近は自分の文章を不特定多数に公開するのに些かためらいを感じるようになってきました。昔と書いている内容が根本的に違うというのもあるけど、前ほど自由に表現ができなくなったあたり、とにかく自意識が過剰になっている。

上手く言語化できない気持ち。
それは語彙力が未発達なのか、それとも考え自体が未熟なのか、自分でもわかりません。
自分でよくわからないことが、他人に伝わるわけがないのだということを実感している。

モノが先か言葉が先か、それは雛と卵の関係と同じだけど、言語学者ソシュールは言葉が先だと言った。私もそう思っている。言語化できない感情なんて所詮自分のなかでも存在しないのかもしれない、存在し得ないのかもしれない。上手く説明できないなんて、言い訳にしかすぎないんだよね。本当に整理された定着された考えならば、はっきり言えるはずだ。
でもその未発達な感情、発達させて、言語化させたい。

私が音楽を好きなのは、そういう自分の中のむしゃくしゃを自分で整理して、他人に伝達する媒体だからなのかも。